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札幌高等裁判所 昭和55年(ネ)59号 判決 1983年3月29日

控訴人

関根有作

右訴訟代理人

西村洋

松浦正典

被控訴人

石栗満

右訴訟代理人

福岡定吉

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金八〇万円を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを四分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の各負担とする。この判決は、控訴人勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一昭和四二年七月一二日午前一一時五〇分ころ北海道中川郡豊頃町茂岩橋付近において、訴外飯田政幸運転の普通貨物自動車(加害車という。)が、対向してきた控訴人運転の普通乗用自動車(被害車という。)と衝突する事故(本件事故という。)が発生し、これにより控訴人が下顎骨骨折、右股関節外傷性脱臼、右手根骨骨折等の傷害を負つたこと、被控訴人は、当時加害車を所有し、その運行供用者であつたこと及び控訴人の被控訴人に対する釧路地方裁判所帯広支部昭和四三年(ワ)第一六七号事件(前訴事件という。)において、本件事故による損害賠償請求につき金五四四万円の限度で請求を認容する判決があり、この判決が不服申立のないまま確定したこと(右判決を、前訴確定判決という。)はいずれも当事者間に争いがなく、なお<証拠>によれば、前訴事件の最終口頭弁論期日は、前訴確定判決の言渡日である昭和四五年五月一九日(控訴人は、この言渡日を同年四月三〇日と主張し、被控訴人もこれを認めるが、これは主要事実には属しないから、その自白には拘束されない。)以前であることが明らかである。

二そこで控訴人主張の右変形性股関節症が後遺障害かどうか、本件事故と右後遺障害との因果関係及び前訴確定判決の既判力が本訴請求債権である右後遺障害にもとづく慰藉料請求債権に及ぶかどうかについて判断するに、<証拠>によると、控訴人は、本件事故により、前記のとおり右股関節外傷性脱臼の傷害を負つたが、当時他に緊急の治療を要する重篤な傷害があつたことなどから、事故の約一週間後にはじめて右脱臼が発見されたため、その整復(外れた骨の関節頭を関節窩に戻すこと。)が遅れたこと、右のように関節が脱臼したまま長期間放置されると、その関節頭部の毛細血管に血流障害を生ずるため、整復後においてその付近の骨組織が徐々に壊死し、やがてその関節面の変形による不適合を生じて関節症の障害に至ることがあり、かつこの場合、右のような変形性関節症による疼痛等の症状は脱臼から数年後に表われることが多いこと、控訴人の場合、前記右股関節外傷性脱臼による後遺障害として、右股関節部に、外転、内転、屈曲における運動障害が残ることは、前訴事件の口頭弁論終結時にはすでに判明し、かつその症状も固定したとの診断がなされていたが、同じ部位における前記変形性関節症については、当時全く無症状に経過し(前記運動障害は、前記変形性関節症によるものではない。)、かつその部位のレントゲン写真等においてもその疾患の明確な兆候はみられなかつたため、控訴人においてこれを知ることができなかつたこと、しかるに控訴人は、前記口頭弁論終結時から約三年を経過した昭和四八年五月ころ右股関節部に疼痛を感ずるようになつたため北大病院の診察を受け、さらにその後柴田整形外科医院での各種検査を経た結果、右股関節の関節頭付近の骨組織がかなり古くから徐々に壊死したことにより変形し、その関節面が不適合の状態となつていることがはじめて判明したこと、そして現在では、右関節頭の骨組織の壊死は硬化して治まりつつあるが、関節面の不適合が残存し、関節部に負担をかけると激しい疼痛を生ずるため、長距離(数百メートル以上)の歩行、階段の昇降及び強い関節の屈曲(一一〇度以下)などが困難な状態にあることがそれぞれ認められ、これらの認定を左右する証拠はない。

右によれば、控訴人の右股関節部には変形性関節症の疾患があつて、これは本件事故による右股関節部外傷性脱臼の傷害に起因する後遺障害(本件後遺障害という。)であると推認され、また本件後遺障害は、前訴事件の口頭弁論終結時に同じ右股関節部に残存していた運動制限の後遺障害とはその病因を異にする別個のものであり、しかも当時控訴人において、本件後遺障害が生じ、かつこれが残存することを予想することはできなかつたと認定されるから、控訴人の被控訴人に対する本件後遺障害にもとづく慰藉料請求債権は、前訴事件において請求した損害賠償債権には含まれないと解するのが相当であり、したがつて前訴確定判決の既判力は右の慰藉料請求債権には及ばないというべきである。<以下、省略>

(奈良次郎 渋川満 藤井一男)

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